平成27年2月4日~6日に三会派合同で管外視察を行いましたので下記にその内容をご報告いたします。
1. 視察日及び視察目的
2月4日(水) 大分県別府市
「別府市立東山幼、小中学校の12年一貫幼少中連携について」
2月5日(木) 大分県豊後高田市
「昭和のまちづくりについて」
2月6日(金) 黒川温泉観光旅館協同組合
「観光と景観について」
2. 市町の概要
(ア)大分県別府市
人口は121,026人(平成26年3月31日)、面積は125.38㎢であり、温泉湧出量が全国一位の温泉のまちとしても観光地としても有名である。平成25年度の観光客総数は8,244,867人で、そのうち外国人観光客が251,302人で、対前年35.1%、65,275人の増加となっている。
(イ)大分県豊後高田市
人口は23,577人(平成26年3月31日)、面積は206.65㎢である。同市は定住促進事業により全国住みたいまちランキングで常に上位(5位以内)となっている。また年間100万人を超える観光客が訪れている。
(ウ)熊本県阿蘇郡南小国町
人口は4,429人(平成22年国調)、面積は115.86㎢である。黒川温泉をはじめ小田温泉、田の原温泉、白川温泉、満願寺温泉など趣の違った風情ある温泉地が数多く点在し、古くから湯治場として多くのの観光客で賑わいをみせている。
3. 視察の内容
(ア)別府市立東山幼、小中学校
東山幼、小中学校は平成10年に児童・生徒51名で開校された学校である。その特徴は幼稚園、小学校、中学校の児童・生徒が同じ学び舎で教育を受けている点である。
授業はノーチャイムで行われ、授業は小学校・中学校とも45分で行われている。そのため中学校は8:15~8:35の20分間朝授業と6時限目(水曜日は5時限目)後の10分間の授業で時間調整が図られている。
小学校・中学校のクラス数は7クラスで、複式学級制となっている(小学校2・3年、小学校4・5年)。
視察時に全校生徒で歓迎会をして頂いたが、生徒の間に緊張感や不安感、思春期特有の問題行動も見受けられなかった。その点は少人数教育の利点であろう。しかし質疑の中では、長期間の教育による人間関係の固定化といった問題点の説明もあった。
入学に際しては体験入学を実施しているとのことであった。また質疑では、環境を変えるために編入してくる児童・生徒もあるとのことであり、同校では中途退校はないとのことであった。
英語教育に関しては、発達段階に合わせて小学校1年生から実施しているとのことであった。
地域の交流は盛んで、地域に支えられているとの報告があった。
(イ)昭和のまちづくり
平成4年度に豊後高田市商業活性化構想を策定したが、巨額の費用のため建設目途が立たず、失敗に終わった。豊後高田市のまちづくりは失敗が原点である。それから商工会議所を中心として「豊後高田市商業まちづくり委員会」が立ち上げられ、数年をかけ、江戸時代から現代までの歴史を調査された。その結果商店街が最も華やかで元気だった「昭和」を「まちの個性」とすることにされた。
これまでの10年間で20億円程度の事業実施がなされている。
実際に事業計画を策定実施する過程で、「商店街の町並みと修景に関する調査事業」が行われた。その結果、商店街の建物の7割が昭和30年代以前に建てられ少しの手直しで「昭和の店」になることが判明し、中心市街地の店舗に「昭和の店」づくりが呼び掛けられた。
昭和の建物再生(昭和の町並み景観づくり)として、商業者負担が1/3の補助事業が創設され、平成25年度までに51件の建物再生が行われた。事業費の平均額は300万円程度との説明があった。
また昭和の歴史再生(店に残るお宝を一点一宝として展示し、町や店の物語づくり)として展示整備に要する費用の1/2を補助している。
またボンネットバスを導入しているが、岡山県福山市の自動車工場が修理し、7千万円程度掛かったようである。
新たな拠点施設として平成14年度に昭和の町展示館が整備されている。展示品の多くは駄菓子玩具の個人コレクターからお借りしているとのことであり、また開館後から随時寄贈をうけているとのことであった。昭和ロマン蔵整備関連では総事業費は1億1772万6千円となっている。
また街コンや昭和の町レトロカー大集合、雛めぐりや道具めぐりなど単発イベントも精力的に開催されている。
当初、年間5万人の入込を目指しておられたが、平成15年度には予想をはるかに上回る20万人の観光客が訪れたため、団体客の受付や駐車場の整理、昼食の受け入れなど多くの問題が生じたため、日本政策要旨銀行等の提言を受け、平成17年11月に市・商工会議所・金融機関などが出資し、第三セクターで「豊後高田市観光まちづくり株式会社」が設立された。
「商業は個人戦、観光は団体戦」との言葉が非常に印象に残った。
(ウ)観光と景観
黒川温泉観光旅館協同組合は昭和36年に旅館を瓦葺にするため連帯して設立された。
黒川温泉の今の盛況はひとつの旅館で作られた露天風呂の設置に端を発し、長野県野沢温泉を参考にした入湯手形や田舎の演出をする修景事業によって形作られている。
同組合内の組織は昭和61年に再編され、環境班・企画班・看板班が置かれている。環境班はまちに木を植え、企画班は露天風呂や入湯手形を考え、看板班は看板の撤去などを行う。看板に関しては熊日新聞社の目の前で看板を燃やすなどのアピールや、環境に関しては旧建設省所有のガードレールを勝手に黒く塗ったなど、過激ともとれる積極的能動的な活動が行われてきたようである。その際には役場も「私には黒く見えます」と抵抗や協力をしてくれたようである。企画班の入湯手形が同組合の収入源(約1億5千万円)となっており、1枚25円が老人会の収入となっている。またHPを立ち上げ、宿泊客の紹介料を売り上げとしているようでもある。同組合の考え方として、1年間の収益は投資(経費)に回すとのことであった。
平成13年度からは街並み環境整備事業で約4億円を投じて橋や外灯の整備が行われた。また「星が見えるように」と外灯の照度は落とされているとのことであった。
また植樹のキーポイントは大きくなった気を植えることである、そうすればすぐに魅力となるからとのことであった。また山に溶け込むように木を植えるよう心掛けているとのことであった。
また露天風呂も川の中で自然の岩が据わっているように設置しているとのことでもあった。
4. 雑感
最後に、豊後高田市の昭和の町づくりと黒川温泉観光旅館協同組合の取組みに共通する点は、住民自らが危機感を持ち考え動き汗をかいている所である。行政が前面に出るのではなく、住民や経済活動のサポートに徹する、そういった意識が朝来市にも必要だと考える。また住民や事業者も発想の転換を行い、自らのために自らが動く、そういった流れにならなければ、今の朝来市は変わらないであろう。他省ではなく自省、『神は自らを助くる者を助く』である
1. 視察日及び視察目的
2月4日(水) 大分県別府市
「別府市立東山幼、小中学校の12年一貫幼少中連携について」
2月5日(木) 大分県豊後高田市
「昭和のまちづくりについて」
2月6日(金) 黒川温泉観光旅館協同組合
「観光と景観について」
2. 市町の概要
(ア)大分県別府市
人口は121,026人(平成26年3月31日)、面積は125.38㎢であり、温泉湧出量が全国一位の温泉のまちとしても観光地としても有名である。平成25年度の観光客総数は8,244,867人で、そのうち外国人観光客が251,302人で、対前年35.1%、65,275人の増加となっている。
(イ)大分県豊後高田市
人口は23,577人(平成26年3月31日)、面積は206.65㎢である。同市は定住促進事業により全国住みたいまちランキングで常に上位(5位以内)となっている。また年間100万人を超える観光客が訪れている。
(ウ)熊本県阿蘇郡南小国町
人口は4,429人(平成22年国調)、面積は115.86㎢である。黒川温泉をはじめ小田温泉、田の原温泉、白川温泉、満願寺温泉など趣の違った風情ある温泉地が数多く点在し、古くから湯治場として多くのの観光客で賑わいをみせている。
3. 視察の内容
(ア)別府市立東山幼、小中学校
東山幼、小中学校は平成10年に児童・生徒51名で開校された学校である。その特徴は幼稚園、小学校、中学校の児童・生徒が同じ学び舎で教育を受けている点である。
授業はノーチャイムで行われ、授業は小学校・中学校とも45分で行われている。そのため中学校は8:15~8:35の20分間朝授業と6時限目(水曜日は5時限目)後の10分間の授業で時間調整が図られている。
小学校・中学校のクラス数は7クラスで、複式学級制となっている(小学校2・3年、小学校4・5年)。
視察時に全校生徒で歓迎会をして頂いたが、生徒の間に緊張感や不安感、思春期特有の問題行動も見受けられなかった。その点は少人数教育の利点であろう。しかし質疑の中では、長期間の教育による人間関係の固定化といった問題点の説明もあった。
入学に際しては体験入学を実施しているとのことであった。また質疑では、環境を変えるために編入してくる児童・生徒もあるとのことであり、同校では中途退校はないとのことであった。
英語教育に関しては、発達段階に合わせて小学校1年生から実施しているとのことであった。
地域の交流は盛んで、地域に支えられているとの報告があった。
(イ)昭和のまちづくり
平成4年度に豊後高田市商業活性化構想を策定したが、巨額の費用のため建設目途が立たず、失敗に終わった。豊後高田市のまちづくりは失敗が原点である。それから商工会議所を中心として「豊後高田市商業まちづくり委員会」が立ち上げられ、数年をかけ、江戸時代から現代までの歴史を調査された。その結果商店街が最も華やかで元気だった「昭和」を「まちの個性」とすることにされた。
これまでの10年間で20億円程度の事業実施がなされている。
実際に事業計画を策定実施する過程で、「商店街の町並みと修景に関する調査事業」が行われた。その結果、商店街の建物の7割が昭和30年代以前に建てられ少しの手直しで「昭和の店」になることが判明し、中心市街地の店舗に「昭和の店」づくりが呼び掛けられた。
昭和の建物再生(昭和の町並み景観づくり)として、商業者負担が1/3の補助事業が創設され、平成25年度までに51件の建物再生が行われた。事業費の平均額は300万円程度との説明があった。
また昭和の歴史再生(店に残るお宝を一点一宝として展示し、町や店の物語づくり)として展示整備に要する費用の1/2を補助している。
またボンネットバスを導入しているが、岡山県福山市の自動車工場が修理し、7千万円程度掛かったようである。
新たな拠点施設として平成14年度に昭和の町展示館が整備されている。展示品の多くは駄菓子玩具の個人コレクターからお借りしているとのことであり、また開館後から随時寄贈をうけているとのことであった。昭和ロマン蔵整備関連では総事業費は1億1772万6千円となっている。
また街コンや昭和の町レトロカー大集合、雛めぐりや道具めぐりなど単発イベントも精力的に開催されている。
当初、年間5万人の入込を目指しておられたが、平成15年度には予想をはるかに上回る20万人の観光客が訪れたため、団体客の受付や駐車場の整理、昼食の受け入れなど多くの問題が生じたため、日本政策要旨銀行等の提言を受け、平成17年11月に市・商工会議所・金融機関などが出資し、第三セクターで「豊後高田市観光まちづくり株式会社」が設立された。
「商業は個人戦、観光は団体戦」との言葉が非常に印象に残った。
(ウ)観光と景観
黒川温泉観光旅館協同組合は昭和36年に旅館を瓦葺にするため連帯して設立された。
黒川温泉の今の盛況はひとつの旅館で作られた露天風呂の設置に端を発し、長野県野沢温泉を参考にした入湯手形や田舎の演出をする修景事業によって形作られている。
同組合内の組織は昭和61年に再編され、環境班・企画班・看板班が置かれている。環境班はまちに木を植え、企画班は露天風呂や入湯手形を考え、看板班は看板の撤去などを行う。看板に関しては熊日新聞社の目の前で看板を燃やすなどのアピールや、環境に関しては旧建設省所有のガードレールを勝手に黒く塗ったなど、過激ともとれる積極的能動的な活動が行われてきたようである。その際には役場も「私には黒く見えます」と抵抗や協力をしてくれたようである。企画班の入湯手形が同組合の収入源(約1億5千万円)となっており、1枚25円が老人会の収入となっている。またHPを立ち上げ、宿泊客の紹介料を売り上げとしているようでもある。同組合の考え方として、1年間の収益は投資(経費)に回すとのことであった。
平成13年度からは街並み環境整備事業で約4億円を投じて橋や外灯の整備が行われた。また「星が見えるように」と外灯の照度は落とされているとのことであった。
また植樹のキーポイントは大きくなった気を植えることである、そうすればすぐに魅力となるからとのことであった。また山に溶け込むように木を植えるよう心掛けているとのことであった。
また露天風呂も川の中で自然の岩が据わっているように設置しているとのことでもあった。
4. 雑感
最後に、豊後高田市の昭和の町づくりと黒川温泉観光旅館協同組合の取組みに共通する点は、住民自らが危機感を持ち考え動き汗をかいている所である。行政が前面に出るのではなく、住民や経済活動のサポートに徹する、そういった意識が朝来市にも必要だと考える。また住民や事業者も発想の転換を行い、自らのために自らが動く、そういった流れにならなければ、今の朝来市は変わらないであろう。他省ではなく自省、『神は自らを助くる者を助く』である